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岡崎(おかざき・Okazaki)

三河武士のやかた家康館へ 「珍銃奇銃展」

投稿日:2013年12月20日 更新日:

先日、岡崎公園にある「三河武士のやかた家康館(1階展示室」)で

開催されていた、

澤田平コレクション「珍銃奇銃展」~国内唯一の銃が終結~

(2013年10月30日~同年12月15日まで)の見学に行ってきましたが…

1階展示室出入口前で

1階展示室前は、今までに何度も足を運んでいるので、

見慣れた場所だったのですが、今日はそこに展示してある鎧が

少し興味を惹いたので、写真を撮ってみました。

 

4領(単位が違ってたら、ご容赦下さい)展示してある向かって左から、

 

ご存知「本多忠勝tadakatu

徳川四天王徳川十六将のひとり 

「家康に過ぎたるものが二つあり、

唐の頭に本多平八」

と謳われ、50数度の戦で一度も

負傷したことがないと伝えられている。

兜の鹿の角をあしらった脇立がかっこいい。

 

 

 

tokugawa

その右側には、「徳川家康

江戸幕府創業者 初代将軍 

本多忠勝の鹿の角の脇立もいいけど、

シダもかっこいい。

 

 

 

 

 

そして、徳川家康の右隣りは、sakakibara

榊原康政

徳川四天王、徳川十六将のひとり 

本多忠勝と同い年。

武勇ではどうしても、

忠勝に見劣りしてしまいそうだが、

秀吉の悪逆を非難した檄文を記し

触れ回すような活躍は康政の人となり

ではないでしょうか。

兜鎧をみると、派手さを好まず

地味で忠義の人だったと、勝手に想像してしまう。 

 

井伊

最後に、一番右の「井伊直政

徳川四天王、徳川十六将のひとり

遠州井伊谷の生まれ(三河譜代ではない)

井伊の「赤備え」(武田氏家臣であった

山形昌景の赤備えから)で有名。

 

 

 

 

 

徳川四天王…酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政

徳川十六将…徳川四天王他、内藤正成、鳥居元忠、鳥居直忠、

        高木清秀、蜂屋貞次、服部正成、渡辺守綱、米津常春、

        松平康忠、大久保忠世、大久保忠佐、平岩親吉

珍銃奇銃展会場へ

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会場に入ってすぐ左に、

炮烙玉」なるものが展示されていた。

説明書きには、

「江戸時代最大の砲弾で二百貫目(750キロ?)

炮烙玉。丸亀藩家老の開発による炸裂弾で

大砲で打ち出した。」とあった。

 

また、小型のもので手榴弾のようなものは、

投炮烙」と称し、他に導火線の長さを

調節して時限爆弾として用いる捨炮烙

(後の打上花火などに発展した)というもの

について説明を読みながら、

 

奥へ入っていくと、大塩平八郎の乱で威力を示した

火矢筒」や、「御座敷鉄砲」(名前だけ聞くと御座敷遊びの一種の様??)

といって、高級武士の子弟用砲術用具で、幼児に遊戯感覚で楽しませながら

砲術を習得させるのが目的だった…他に砂鉄砲、ピストルライター、

脇差し鉄砲 等々沢山展示されており、その数もびっくりしたが、

それを発明・製造した先人の知恵・工夫・技術にも大きく感心した。

 

※会場内撮影禁止だったので、画像をのせることができませんでした。

また、展示期間が過ぎてから書いてても遅いですね。ごめんなさい・・・

 


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